自分が可哀想という病

大分・自然素材の家。もくせい工舎・ことりのかあさん


『スナック キヅツキ』という益田ミリさんの漫画があります。

可哀想という病_キズ

その本の帯にある【キズついて、キズつけて、生きている】という言葉の通り、

それぞれは短編という形をとっているのですが、

1話目の【主人公】をキズつけた人物が、今度は2話目で【主人公】となり、
3話目に出てくる人物からキズつけられている、という連続したもの。

キズつけている、といっても

社会によくあるような、

モヤっとしても、なんとなく飲み込んでしまうような、

些細だから、口にするのもなんだか・・・。と、なかったことにしてしまうような、小さなキズ。

泣きわめいて、反論して・・・とまでいかない、小さなキズ。

言うほどでもない、小さなキズをつけられて、
【主人公】は、ふらりとスナックキズツキに入っていきます。

そこは、傷ついた者しかたどりつけない路地裏のスナック。

スナックですが、アルコールはおいていません。

飄飄とした女主人が、弾き語りで【主人公】の自分の正直な気持ちをカラオケで歌わせたり、

エアギターさせたり、踊ったり。

出ていく頃には、いくぶんかスッキリしているというお話です。


私は、ともすれば、自分の人生の【主人公】になってしまっている時があります。

ネアカな方ではないので、どちらかといえば不幸寄りな話の、【主人公】です。

しかも、不幸といっても、他人に話せばどうでもいい、
「そんなことくらい」と鼻で笑われるような、話。

「そんなことくらい」と笑われるような、しょうもないことで、いちいちキズついている自分にも嫌気がさして、

よけい気落ちしているというから、どうしようもありません。


この益田ミリさんの漫画は、他人に言えば「なんだそれくらい」「あ~、ありがちだよね」と笑われるような、小さなキズをうけた人たちが、

実は、そのほとんどが悪気なく誰かを同じように、傷つけてもいるのだということを、

説教臭くなく気づかせてくれます。


自分のキズは大袈裟に痛がるのに、他人につけてしまったキズには無頓着。

物語の【主人公】に居座りすぎると、自分が清廉潔白の勧善懲悪になりかねないのが怖いところ。

何のことはない。

そういうアンタだって、何かしらやらかしてるんだよって、自分を俯瞰してみないと、
危なっかしいのだと思います。

大人になってつくづく思ったことは、
キズついている自分に夢中になると、ろくなことがないということ。

私は、これを【自分可哀想病】と呼んでいます。

「なんで私ばっかり」
「なんで誰もわかってくれない」
「どうせ」

私、私、私、私・・・。

こういう、かわいそうな自分に夢中になる時、

実は、その人は自分のことしか考えていない。

自分のことしか考えていない人と、誰も親しくなりたいとは思わない。

だからよけい悪循環に陥るのは、当たり前のことなんだと
オバちゃんになって気づきました。

だから、「ありゃ、これは自分可哀想病のひき初めだぞ」と思ったら、

カメラ片手に自然豊かな場所に行ったり、
美術館に行ったり、

自分の小さな世界ばかりが、世の中の全てでないことを実感しに行きます。


自分の機嫌は自分でとる。

虎に翼で、母親役の石田ゆり子さんがセリフで言っていたような気もしますが、

それこそ、大人だからできること。

誰かにあやしてもらったり、慰めてもらったりすることばかり考えていたら、

いかに自分が可哀想なのかを、他人にアピールせねばなりません。

大人になるというのは、他人だって、そこそこ、口にはしないけど、
何かしらを背負っているんだろうなということを、思いやれること。

お互い、何かしらの荷を負っていることを、理解すること。

そうすれば、他人の荷に気づかず、
「私こんなに可哀想」という荷を押し付けずにすみます。

「誰かに理解してほしい」「分かってほしい」
そう伝えたとして、

「あ~、○○さんってかわいそうな人なんやね~」って言われたいか?

うんにゃ!絶対イヤだ!

可哀想なばかりが、私じゃないぞ!

自分の人生を、可哀想で締めくくるのなんて絶対イヤだ!

そこそこ色々あったけど、おもしろいことも、良いこともあったよ!
って、生ききりたい!

だから、本っ当に気をつけないといけない!

そう繰り返し、自分に言い聞かせます。

自分可哀想って病にならないように。

風邪もひき初めが肝心なように、
早め早めの対処が肝要です。

他人につまらない嫌な思いをさせないように、
自分で人生をみじめにしないように、

気をつけていきたいところであります。

私をキズつけたあの人も、誰かにキズつけられているんだよなぁ。

可哀想という病

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