自分たちには建てれないと思っていた
「家を建てたい」
そう思ってから、実際に【わが家】を建てたのは
10年後でした。
迷っていたわけでなく、
「自分たちには無理なんだ。建てれないんだ。」と
諦めていたのです。
見栄を張っては通じないので、恥をさらすと
■(家族の、知らなかった)借金 by ギャンブル
■(それを誤魔化そうとした挙句の)詐欺被害金
■義実家建て替えの連帯保証
などなど、数百万。
頭金どころかの話だったのです。
絶望というより、望むとつらい。
だから、考えないようにしていました。
淡々と、目の前の暮らしを送ることに
専念していたのです。
では、なぜ今
家を建てて、住んでいるのか。
それは、他人様(この場合は永家さん夫婦)の知恵を借りたからです。
悩んだり、行き詰ったり。
今現在の自分だけの、知識や力じゃ
どうしようもない時、
できるだけの努力はしても、
ちっとも前に進まない時、
人は悩んだり、行き詰ったりする。
どんなに知識・経験が豊富な人でも
世界の全てを知っているわけではない。
人間は、(当たり前のようですが)やっぱり
その人が「知っている範囲の事」しか知らないのです。
だから、本を読んだり、
「他の人」と話をして、
初めて
違う道のあることを
知るのだと思います。
先日、永家Tさんと話していて、
意外にも「自分たちには無理だ」と思っていた方の多さに驚きました。
ド~ンと現金で払える方はともかく、
こんなご時世で、未来に何も保証がないのに
「自分たちに建てれるか」の不安は誰しもあると思うのです。
ただ、
「何も望まない」「何も見ない」で
心に蓋をするのは
もう、やめにしませんか?
とりあえず、恥をかいても
聞いてみればいい。
他の人に、知恵を借りてみればいい。
お金はともかく、
知恵は借りても、返す必要はありません。
聞いて、「あ~。無理です。」と言われて
恥ずかしい思いを、したくないかもしれない。
でも、聞かずに
私のように10年を
心に蓋をしたまま過ごすのなんて
本~当にもったいない!
ちょっとの恥を我慢して
次に進むか
別の道を行くか
いくらでも方法はあったのに!
以前、吉野 弘さんの詩について
書いた記事があります。
(なぜか、ワンピースのルフィを引き合いにして・・・)
私たちが「不完全」なのは、
他者を必要とするためである。
吉野さんの『生命は』という詩は、
それを教えてくれています。
(花もハチという他者を必要とする)
心に蓋ばかりして生きていると、
子ども達に諦めることしか教えてあげれない。
「道が分からなければ、誰かにききなさい。」
それは、大人になっても言えることなんだと
思います。
自分の歩いた道が、
自分の人生になるなら、
選べないことはともかく、
どんな景色がみたいですか。
どんな顔をして歩いていきたいですか。
時々、私自身も思い出してみたいと思います。
不完全な、一人のワタシとして。
どうぞ、皆様に良いご縁がありますように。