「当たり前」をささえるもの
わが子が小さい時、それはもう、笑えるほど度々病気になりました。
兄弟そろって気管支炎だの、肺炎だので
入院することも度々で
「幼稚園に今月2日しか行ってない」なんてこともありました。
誰の助けもあまり期待できなかったので
「こりゃ~、まともに何時から何時までの仕事に就くのは無理かもしんない。」
そう思って通信でWebデザイン等を勉強した時期がありました。
今から10年以上も前のことなので
AdobeのDreamWeaverというソフト。
これがまた私のアタマには難しく、
やっとこさ完成させても
InternetExplorer6問題だったか何かで
(こちらできちんと表示されててもIE6だと表示が崩れちゃう問題)
すっかり心が折れてしまい
付属で覚えた
illustratorとPhotoshopでこうして細々お仕事をしています。
日進月歩の世界は
歩みがゆっくりな私にはついていけない。
今はWordpressなんかで、皆さん
サクサクとサイトを作っているようなので
あんなに勉強してみたことも
日進月歩が
「誰でも簡単に」それなりにできるようにしてくれます。
地道にコツコツした経験値が
やがて地層のようになるのとは
ちょっと違う世界。
乗り遅れないよう、最新のものに常にアンテナを張って
刷新していかないと置いていかれてしまう。
ちょっと私には無理でした。
でも、そのWebデザインの勉強の時に
講師の方が話していた言葉が印象的だったのです。
「Webデザイン然りなんですが
デザインって不便や不都合を感じさせないように作ることが前提なんですよ。」
つまりWebデザインでいうと、クリックするボタンの大きさ一つ、位置1つ、
サイトの訪問者に「?」って思わせてはいけないということ。
なんの不便も感じさせず、「さらっと上手くいく」ようしないといけない。
不便を感じさせないのがデザインの仕事ということです。
車や家電などの工業製品のデザインだとよく分かりますよね。
炊飯ジャーでも「炊く」のボタンが一番大きく押しやすいのは
そういう配慮です。
マニュアルを最後まで読まないと「炊く」ボタンが分からないのは
製品としてアウトですもんね。
機能とは関係なさそうなグラフィックデザインの世界でも
イベントのポスターなのに
開催日時がどこに書いているのか分からなければ
「?」ってなりますから、デザイン的には失敗ということです。
デザインとは、設計・図案・意匠のことだと出てきます。
「?」ってなったり、困らないよう設計する機能的な美しさでしょうか。
あ~、でも
「困らなくて」「きれい」ってデザインだけの話ではないはず。
日頃、「なんの不便も感じさせない。」そういう仕事。
おおやけに「役に立つ」と言われている仕事はもちろん、
名もなき、小さな仕事にも
誰かに不便を感じさせず、快適な日常が当たり前に送れる働きがある。
洗濯かごに放りっぱなしにしていた昨日の靴下が
何年も同じ位置にないのは
誰かが洗濯してくれたからだ。
お金になることばかりが仕事じゃないと
頭ではよく分かっていても
そういう小さな仕事って、もう少し有難がってもいいような気もします。
明日起きれば、温かいご飯とみそ汁、お弁当ができてる。
・・・なんて、当たり前じゃないんだよな。きっと。
当たり前のことが、当たり前にできているのは
きっと、陰ひなたなく
誰かがそうやって働いてくれているからだ。
家事は
日々の暮らしに「困らないよう」「きれい」にしてる
デザイン業務とも言えそうです。
あれをやって、これをやって、
こうしている間に、あれをやって・・・。
家事は頭もフル回転。
疲れは「体」ではなく「脳」の疲れといいますから
もう、立派な激務ですよ。
もっと胸をはっていいと思いますし、
ねぎらって貰っても、おつりが出るくらいです。
家族の「当たり前」を支える。
お金になる「仕事」も、
お金にはならない「仕事」も、
どっちも大事。
ただ、お金にならない「おうちしごと」に
もっと光あれ!
・・・と願います。