子ども達から借りている
おらが村でも再生プラスチックごみの分別が始まりました。
今まで燃えるごみとして
出していたプラを、
洗って、干して、別の日に捨てます。
意外に、干場に困るので
ホームセンターから
干物用ネットなどを買ってきて
使っています。
実際に分別してみると
これほど多かったのか、プラスチック!
燃えるごみはいつもの半分ほどになってしまいました。
私はひねくれてるので
分別するために洗って汚した水とか
別回収するために出した車のCO₂とか
再生するために出た何だかとか
総トータルで結局良いことなのかと
ついつい考えてしまいます。
とはいえ、いかんせん
それが私に分かるわけがない。
地球規模で環境問題を何とかできる
頭は、残念ながら私にはないのです。
とりあえず家庭規模で
頑張りたいところ。
燃やすよりはましだと期待して
分別をまじめにやりたいと思います。
それにしても
いくら分別してもキリがない。
これはもう、
過保護で過剰すぎる
企業の包装自体をなんとかしないといけないような。
以前は便利だと思っていた個包装も
いざ洗うとなると、
も~う、ちまちま出てくるそれが、
うっとうしくて仕方ない。
ここまで小分けする必要が
果たしてあるのだろうかと
思っちゃう。
でも、それだって
ニーズがあったから売れてたんですよね。
私だって、便利だと思っていた。
私だってプラには
甘えているっていうことです。
お恥ずかしいのですが
この歳になって知ってびっくりしたことがあります。
ある読書会で、石牟礼道子さんの『苦海浄土』の
お話を聞きました。
水俣病のことは、小学校の授業でも習っていて
猫がさかさまになって
踊り狂うように死んだこととか
人間ももだえ苦しんで亡くなったこととか
子ども心に痛烈だったのを記憶しています。
本を紹介してくれた方が
石牟礼道子さんの生きづらさも含め
熱心に話してくれたので
気になって、最近検索して見たのです。
【水俣 チッソ 水銀】
という単語は記憶していたのですが
あの海に垂れ流していた排水は
アセトアルデヒドという
プラスチックの原料を作る際に出ていたもので
そこに有毒なメチル水銀も混じっていたとのこと。
ここでも、プラスチック。
しかも汚染された海のヘドロと一緒に
魚が生きたまま大量に埋め立てられていることも知りました。
わざわざ言及はしませんが
なんだか色んなこととリンクして考えてしまいます。
あれから何十年たっても
やることは余り変わっていないのです。
効率や、経済的なことを優先し
大丈夫、大丈夫とごまかして
問題が表面化したら、とりあえず頭を下げ、
金を出し、
埋め立てて、なかったことにする。
それ、今でもやってますよね。
歴史から学ぶことができるただ一つのことは
人間は歴史から何も学ばないということだ。
ヘーゲル|ドイツの哲学者
早い・安い・簡単・便利。
それに甘やかされて
またやらかしてしまう。
世界はそれでも少しずつ良くなっている。
そう信じたいです。
水俣の埋め立て地は
その後きれいな公園になっているようです。
そこを、ただきれいなだけの場所にしないために
そういう事実があったことを
忘れ去ってしまわないように
犠牲になった生き物たちを弔うため
水俣病患者自らが彫った
野仏さまが納められています。
NHK|【特集】水俣から考える(1) 漁師・緒方正人さん
いつか、見に行きたいと思います。
他人事にしないように。
地球は親から与えられたものではない。
祖先からの授かり物でもない。
子ども達から借りているのだ。
不詳|ネイティブアメリカンの言葉
子ども達に残せる財産があるかはともかく
借金やツケをを残すような
大人にならないようにしたいです。
だから、グレタさんはあんなに怒ってるんだよな。