価値価値ヤマ
経済にも疎いのですが
「価値」と「使用価値」は違うらしい。
すごく手が込んでいたり
こだわっていたり
(人手や時間の)手間がかかっていたり
量産できなかったり。
そういうものが「価値」がある
というのは、何となくわかります。
しかし、それと
「使用価値」があるかは別の話。
例えば、オーガニックコットンで作られてても
他のものと一緒に洗濯できなかったり
アイロンがけなしには着られない服は
ずぼらな私には遠慮したいところ。
「素晴らしい」けど、使いにくいので
「価値」はあるけど、「使用価値」は低くなります。
こだわりの食材でつくられた料理も
味が好みでなかったり、
お店の応対が嫌な感じだと
「素晴らしい」けど、またお金払ってまで食べたくないかな~
ってこともある。
きびしいけれど
がんばった
こだわった
が、「使用価値」に値しなければ
買ってはもらえないし、
いいかも!と思って買ったところで
思ったほど良くなければ
もう買わない、リピートはしないってことになるんでしょうか。
つまりは、また買うほどの「使用価値」が
残念ながらなかった、ということなんだと思います。
新規獲得も大事だけれど
リピート率はそれ以上に大事で
口(くち)コミレビューの怪しさはともかく、
信頼できる人が、「気に入ってね、ず~っとこればっかり!」
って言うのを聞くと
食指は動く気もします。
広告まがいの仕事をしていて思うのは、
広告屋に接点があるのは
新規の方とも言えます。
リピートに関しては
もうメーカーサイドの話になります。
ウソや大げさなことを書けば
住宅メーカーなら
見学会にいけば分かる話です。
大事なのは、契約以後の話。
一生に何回もお家を買える人ならともかく、
(家が一生に一度の買い物だとするならば)
実は「リピート率」の測りようがないのも
住宅業界なのかもしれません。
ただ、なんとなく
「また建てるとしたら、同じところで」
そう思うか。
それが唯一
目に見えないリピート率ともいえるのかなと
個人的には、思います。
ずっと暮らしていれば
だんだん困りごとも出てくることもあります。
古くなってきたり、
状況が変わって、
「どうにかならんかな~!」ってことは
どんなに【こだわった家】を建てていても
やっぱり出てくる。
そんな時に気軽に声をかけやすいか。
実は、そこも
住宅業界の「リピート率」ともいえるのかも
しれません。
新規も大事だけれど、
今ある「ご縁」はもっと大事で。
気軽に困りごとをOBさんが相談しやすいか。
(あえて親しみをこめて「さん」ですが)
相談がないのは、
問題がないからとは、限らない。
あそこは、困ってても声をかけにくい。
そう思われれば、
広告のレビュー以上に信頼性の高い
身近な人からの
リアルな口(くち)コミだってなくなってしまう。
「知り合いが建ててて、
後々も良くしてくれるって言ってたんで~」
実は、これが
最良の「作り手冥利」とも言えます。
OBさんが損得なしで
手放しに勧めてくれるほど
嬉しいことはないからです。
だから、
これから「家を建てたい!」っていう方は
契約後、建てた後、
相談しやすいかも要チェックです。
「価値」と「使用価値」。
ざっくり自分なりに解釈すれば
「価値」は、貴重かどうか、素晴らしいと思うか。
「使用価値」は使えるかどうか。便利かどうか。あてになるか。
「使えるかどうかの価値」っていうと厳しいですが
困りに寄り添ってもらえるかは
後々かなり大きいような気もします。
(忙しすぎて助ける暇がないスーパーマンより
近所のおせっかいの"おいちゃん"の方が頼りになるとか。
立派な人も、頼めないと"あて"にできないので。)
あ~。やっぱり家を建てるって
配偶者選びと似ている。
理想ばかり言ってたら
ことが進まないとか
清濁併せ吞むとか
折り合い付けるとか。
人の脳は後悔するようにできていると言いますが
せめて「当時やれるだけはやった」「考えた」は
精神衛生上、お守りになるかもしれません。
ちなみに「使用価値」はあるけれど
「価値」を全く感じないものを
ぼったくりというらしく。
どんなに「優れている、こだわってる」と言われても
売り手と買い手の「価値」感がずれていれば
両想いにはなれない。
「価値(素晴らしい!と思う気持ち)」と「使用価値(私の暮らしに合ってる!感覚)」の
ヤマ(山。鉱山。掘り出し物を見つける感覚)がはずれないよう、
よい出会いをお祈りします!
グットラック!です。