くだらない話で笑える幸せ
生きていると、色々な出会いがあります。
ネアカとかネクラとか言いますが
一見大騒ぎしして、さも面白おかしく語っているように見えて
よくよく聞いてみると誰かの悪口だったり。
反対に、落ち着いてボソボソっと話しているように見えて
その世界観の広さに圧倒されたり。
一見明るくても、一緒にいるとエネルギーを奪われるというか
エネルギーの消費が激しくなるような
疲れ方をする人もいれば
派手さはないのに
手のひらが暖かくなるような
「よし。明日もボチボチいきますか!」という
背中を押すような、支えるような人もいる。
同じような話をするにも、
そのことが「役に立つ」とか「スキルアップ」とかで
身に着けた話は、そんなに面白くないような気もします。
何の役にたつんだか、さっぱり分からないんだけれど
本人が面白くて面白くて、とにかく楽しくって仕方ない話は
聞いてても、こちらまで楽しくなる。
「なんだそりゃ~?」なんて大笑いして聞いてしまう。
自分にまったく興味のなかった世界や
知らなかった世界を
他人の「楽しい!」という目線を通して
ちょっと垣間見ることができる。
実際に、そこに踏み入れるわけではないけれど
世界の広がりを感じる。
不思議です。
他人の「楽しい!」に
「そんなヒマあっていいね」とか
「変わってるね」と揶揄する人もいるけれど
何にも興味のない人や、
通り一遍の人の話を聞いても、
世界の広がりを感じることは少ない。
「どうせ・・・やけ、仕方ない」や
「こうするべき」「ああするべき」でくくられた世界は
身動きできず、息苦しくもあります。
先日、すごく多忙にされている方とお話してて、
お忙しいにもかかわらず、たくさんの本を読んでおられたことに
びっくりしました。
普通に話しているだけなのに、でるわでるわ。
本に限らず、色々な「面白い」の入り口を持っている。
またそれが、ご本人が「面白い!」と思ったことなので
聞いてても、実際に勧められた本を読んでみても「面白い!」
誰かの仕入れた「役に立つ」や「スキルアップ」の話は
聞いててうんざりすることもありますが
「面白い!」の話は、こちらにも元気がもらえます。
あと、くだらない話ができる相手も、大事ですよ。きっと。
誰かを悪く言うわけでも、下げるわけでもなく
ただただ、バカバカしくて
「くだらんわ~!」と言いながら、
笑い泣きまでして、
あまりに下んなくて、
あとで何であんなに笑ったんだか思い出せないような、
・・・そんなバカバカしい話がしたい時もあるし、
また、そういうことができる知人や家族は
貴重だと思うのです。
くだらないことで、大笑いできるって
幸せなことです。
余談ですが、今、毎週日曜日の『今日から俺は‼!』が
そういう意味での楽しみになってます。
バカバカしくて、くだらなくて
でも、笑ったらスッキリします。
(見てる人、いるかな~)
何の役に立つでなし。
でも、楽しみ。
Q太郎(セキセイインコ・♀)のモフモフの姿を見るのも
ハチ(元野良猫・♀)のずっしり重い体を抱っこするのも
ジャイアントコーンを食べるのも。
子どもたちや友人と、どうでも良い話で大笑いすることも。
何の便利にもならない。
役に立たない。
でも、「楽しみ」。
「楽しみ」があるから、私は明日も生きてます。
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