エライとかエラクないとか
青春ではなく、「中年」真っ只中の身で
(かなり)遅ればせながら、骨髄バンクに登録しました。
54歳になったら登録抹消される!とのことですので
もう賞味期限ぎりぎりというか、
下手したらスーパーで20%offのシールが貼られるレベル。
「こんなオバちゃんの骨髄で大丈夫⁉」という気もしますが、
ぎりぎりでも、せんよかマシ!と、動いた次第です。
エッヘン!どうだ?エライでしょ~~~。
・・・って話ではなく、たまたま色々諸条件が重なったから。
この年齢になって、子どもたちに手がかからなくなってきたこと。
相変わらずカタギ?の何時から何時まで出勤!の仕事をしないままだったこと。
つまり、適合する患者さんが見つかっても
「割と身軽に入院できるから~!」が、理由の一つ。
もう一つの理由は、知人が若くしてガンで亡くなったからでした。
とても気丈な仕事人でもあり、母親でもあった彼女。
どんなことにも全力だったので、
思い残すことは少なかったのではないかと思いますが
お葬式で、その子どもたちを見た時に
さすがにわが子のことは気がかりであったのかな、と。
もっとそばにいて、その巣立ちまで、
泣いたり笑ったりしていたかったかな、と思ったのです。
私は、お医者さんでも、看護師さんでもないので
ガンを治すことは到底できないんですが、
でも、・・・骨髄バンクは、できますよね。
血液のガン、白血病は治せる(私が治すわけじゃないけど)。
うまく適合すれば、うまく順調に回復すれば、
誰かのお母さんだったり、を救えるのかもしれない。
「救う」なんてエラそうだけれど
とりあえず、登録することで
私は54歳までは、この体を「健康」にする【役目】ができました。
もし適合して、誰かが助かったとなれば
「とりあえず、お役に立てたかも!」と思えます。
こんな歳になって、ようやく
誰かの役に立てたという「はっきりとした」実感がわくのかもしれません。
つまり、半分は自分のためでもある。
生まれた意味とか、よく分からないですが
こんな私でも、生きてきて良かった!と思えるかもしれない。
そんな下心もあると思います。
だから、エライとかじゃないかも。
そして、献血や骨髄バンクをはじめ
様々なボランティアに関して
エライ、エラくないを言ってたらどうしようもない気もします。
東日本大震災、九州北部豪雨、熊本、大阪、北海道の地震、
西日本豪雨、台風被害・・・。
今、一体どこが「被災地じゃない」のか分からないくらい。
各地で色々なことが起こっています。
そこに、自分の時間を削ってボランティアとして参加している人たちがいる。
「どうしても半日しか手伝えないけど」と参加した人と、
もう一週間参加している人と、
そこにエライとかエラくないの上下はない。
なんとか一週間、時間を削れそうだから「できるだけ」。
半日でも、何か力になれるなら「できるだけ」。
その【気持ち】とそれぞれの【状況】があるだけで、
時間の長さでエライ、エラくないなんて言ってたら
誰も参加しなくなっちゃう。
どれだけやったか、なんてことで貴賤をつける必要はない。
それは、ボランティアする、または参加しない(できない)も
含めてのことです。
貴賤はない。
それぞれが色々な物を背負っている中で、
【気持ち】や【タイミング】【状況】の中で、
できるだけのことしか、できないってだけ。
エライとか、エラくないとか
ジャッジする必要まったくない。
反対に言えば、「今はできない」ことで後ろめたく思う必要もない。
【状況】が合わないってだけです。
だから、後ろめたさを誤魔化すために
「時間がある人はできるんやろ?私、忙しいけん、そんなヒマない」
なんて言い方だけはしないでほしい。
ヒマな人なんていない。
大変なのは、自分だけじゃない。
自分が思う以上に、他人だって大変だ。
「命は、あなたが生きて使える時間のこと」
こう言ったのは、医師の故・日野原重明さんでした。
【状況】を整えて、ボランティアに参加している人たちは
生きて使えるはずだった時間を、誰かのために使っている。
生きて使えるはずだった時間=「命」を誰かのために使っている。
一方で、時間や【状況】があっても
【気持ち】のタイミングが合わなければ、
なんらかの行動に、「今は移せない」ってだけです。
引け目を負うことはない。
人それぞれ【気持ち】と【状況】が違う。
エライとか、エラくないなんて
ジャッジなんて判定、いらないはず。
誰かを「エライ」とすれば、必然的に反対側は「エラくない」になっちゃう。
だから、わざわざ判定いらないと思っています。
・・・それはともかく、適合するといいなぁ。
せっかくなら。
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