家に恋する・・・・・「あばたもえくぼ」な思い
3月発刊のメッセに、こんな広告を載せてもらいました。
「恋する」なんてロマンチックなセリフが柄にもないので
少々、恥ずかしい気もしますが
撮影時に現場で飾った、お花の「赤」が可愛くて
こういう文言もたまには良いかな、と使ってみました。
インパクトの問題ではなく、家を選ぶことは
長きにわたる伴侶を選ぶ様なものだと
この仕事をしながら、思ってきました。
ずっと一緒にいることを考えると
何が自分にとって一番大切なのか、気づかされます。
譲れない、一番大切なことって、・・・なんでしょうか?
ところで、恋するといえば、
「あばたもえくぼ」という言葉があります。
「あばた」と言うのは、天然痘の治った後のくぼみの事。
自分が好きになった、惚れてしまった相手であれば
例え「あばた」でさえ、可愛らしい「えくぼ」に見える事。
似たような言葉に、「屋烏の愛(人を深く愛すると、その家の屋根にとまるカラスですら愛しい)」とか
「ハゲが3年目につかぬ」なんてものもあるみたいですが。
会った瞬間に分かりそうなものなので
・・・ハゲが3年、なんてことはなさそうですが
それが大した問題にならなかった、っていうことでしょうか?
「あばたもえくぼ」という言い方が適切かはわかりませんが
物事には、必ず長短があります。
それも、誰かの価値観、「色眼鏡」を通した長短です。
見る人の価値観によって、長短はいくらでも変わります。
例え、マザーテレサや、ダライラマでも、悪く言う人がいるように
皆、その価値観、色眼鏡を通して
好きとか嫌いとか、良い悪いを判断しています。
私は今、もくせい工舎の広告をつくるお手伝いをしていますが
そう言った意味でも、価値観の違いのあることを
意識させられることがあります。
自然素材の素晴らしさ、木の家の良さ、
漆喰の雰囲気の味わい深さ・・・。
ただ、それに興味のない人もいます。
あの、木がふんだんに使われた家に入って
肺の奥まで、酸素が染み渡るような感覚。
無垢の杉の木の肌触り。
漆喰のやわらかな光と影。
自分が感じているのと同じように、同調してもらえるかは
本当に広告の言葉だけでは、どうしようもありません。
だから、同じチャンネルを持つ
どこかの誰かに、広告が気づいてもらえること、
ましてやもくせい工舎の家を気に入ってもらえるか、
自然素材に恋してもらえるかは
本当にもう、奇跡的でしかありません。
長短あるけれども、かけがえない。
そんな家に、めぐりあう。
これも、ご縁なのかな!・・・と、思います。
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