誰かの期待に
子どもを育てていると、本当に思い通りにいかなくて
イライラするというよりは、悲しくなってくることがあります。
こうあって欲しいと思って、色々伝えたところで
言葉だけが空回りする事のなんと多いことか。
こちらが言うことの一から十までを鋭敏に察して
その通りか、それ以上に行動してくれたら
親も先生も含め、育てる側はこれほど楽なことはありません。
自分の「育て方」に自信が持てますし、甲斐もあります。
でも、一から十まで大人の顔色を窺って
それ以上に行動してくれる子どもって
・・・・・どうなんだろう?(。´・ω・)?
反対の、子どもの立場から見たらどうなんだろう?
「誰かの期待に応えたい!」
「喜ぶ顔がみたい!」
これが何かの原動力になったり、
やり遂げる力になることもあります。
ただ、期待に応えないと「見捨てられる」「否定される」と、
そう思い込んで必死なら・・・?
「頑張り続けて」、それ相応の「結果」をださないと
嫌われるの?呆れられるの?「おまえなんか役に立たない」と言われるの?
期待に応える事や、結果を出す事だけが、
その子の生きている「意味」や
愛される「証」になってしまうと
子どもは、いつ安心したらいいんだろう?
言っても言っても「思い通りに」「ちゃんと」してくれない。
虚しくなりますし、「育て方」に自信がなくなります。
でも、人間を「育てる」ことというのは
こちらの「意のままに」することなんだろうか?
誰かの期待に応えたくて、
自分を認めてほしくて、目標を早いうちから定めて、
頑張って、頑張って、努力を続けて
良い高校に入って、超有名大学に入って、
一流企業に勤めて・・・。
それが、人の幸せのすべてなんだろうか?
自分の命の尊厳が危ういほどの状況の中、
「このままやったら、危ない。もったいないけど、やっぱ、辞めた!」
それが許される「空気感」や「逃げ場」が人にはいると思う。
生きているからやり直せる。
誰かの期待に応えるため、生まれてきたわけじゃない。
誰かを喜ばせたい。がっかりさせたくない。
それは、とても大切。
だけど、「命」には代えられない。
こちらの「意のままに」ならない子供たちが
それを知らせている。
「思い通りに何か、ならないよ~だ!」
育てることは、きっと
「誰かの意のままに動く」人間をつくることじゃない。
そう思いつつ、そうは言っても頭を抱えつつ、
迷いながら、一緒に日々過ごしております。
人間も、自然の一部。
無理な力を加えれば
一見意のままになっているように思えても
思いもしないひずみが出ることだってある。
色々気がかりはありますが、かといって
「完璧な」「理想的な」別の子と替えてやるって言われても、嫌ですものね(ーー;)
馬鹿な下らないことばっかり言って
ニヤニヤ笑ってるわが子じゃないと
私だって「完璧で」「理想的な」母親じゃないんだから、
一緒に馬鹿なこと言って、ゲラゲラ笑ってられないですもん!( ̄▽ ̄;)
必死に、ひたむきに努力するのは素敵なこと。
でも、「努力」と「成果」だけが全てじゃない。
生きてこそ。
生きてこそ。
笑われながらも、生きてこそ。
「何の役にも立たん」「あんたなんか、この世の中でやっていけん」
そう言われた人しか、そう言われる子どもの気持ちはわからない。
そういう子たちの、灯になるのは
そう言われて育った、「今を生きる」大人たちだ。
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