看板を背負うこと。つながっていること。
「人と会う仕事をしてるから、
いつ誰に見られてるかわからないから
しゃんとしてないとね(*^_^*)」
こういったのは、永家Tさん。
何気なく言ったうえ、ずいぶん前の事なので
ご本人もきっと忘れているかと思いますが・・・( ̄▽ ̄)
妙に印象に残った一言でした(・ω・)
怨憎会苦(おんぞうえく)。
仏教の言葉にそんな言葉がありますが
そこまでなくても、なんとなく気の合わない人はいるもの。
特に話したこともなく、接点もたかが知れてても
妙に突っかかってきて
聞こえよがしの嫌みを言われたり、困るようなことを仕向けたり。
例えば、そんな人がいて
どこかのコンビニの店長してると聞くと
なんとなく、そのコンビニチェーンまで
あまり行きたくなくなる・・・(-ω-)
私たちは、人として「個」ではあるけれど
社会の一員として、何らかの「看板」も背負っている。
「個」としての言動が、「看板」を傷つけることもある。
永家Tさんが、なんとなく言ったことは
そういうことなのかと思います。
また、PTAで、ある議員さんの名前の表記を間違えたことがありました。
良く使われる字ではなく、同じ読みの違う漢字だったのですが
大変失礼で、明らかにこちらの落ち度でした(>_<)
「わし、こんなのが一番好かん(`´)」
当たり前ですが、大変機嫌を損ねてしまい、
そのあとの会議もご機嫌斜め(>_<)
ただ、もしあの時、
「いいよ、いいよ。でも、やっぱり名前間違えるのは怒る人もいるから
次は気をつけてね」
もし、そう言ってもらえたら
私などは単純ですから
「すっごい失礼なことしたのに、すっごい懐が深くて、
その議員さん、すごくいい人だった!」
・・・と、話して回ったに違いありません( ̄▽ ̄)
社会的地位の上下の様なものがあっても
それは、時と場合により立場が入れ替わることがあります。
もし、こちらがお客だからと、店員さんに横柄な態度をとったとして
その店員さんが、お家を建てたいと訪れた先に
先日の嫌な客が、工務店のスタッフだった!なんてことになったら
「あんな感じの悪い人がいる工務店で家なんか建てん!( `ー´)ノ」
・・・・・やっぱり、当然そうなります(・ω・;)
社会的身分の上下はあれども
私たちはどこかでつながっていて
その社会的な上下なんて、いつ立場が入れ替わるかわからない( ̄▽ ̄;)
私たちは、「看板」を背負っている。
そして、つながりあっている。
肝に銘じたいと思います(>_<)
そういう私は仕事柄、滅多に人に「会う」ことはありませんが、
やっぱりたまたまお会いした時に
「あの、名前間違えた・・・」とか、ありえますものね( ̄▽ ̄;)
故意や悪意でない分は、次回から気をつけねばなりませんが
どこかその場の「こちらが客なんだから、こうして当然」とか
「こちらの方が偉いんだから・・・」とかは
やっぱり、いつ何時立場が逆転するか分からず
いいことはない。
いじわるしたり、威張ったりして、
一瞬「優越感」に浸れたにしても、
そうしても、結局は【ほんわか温かな、幸せな気持ち】
・・・にはなりませんものね( ̄▽ ̄;)
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