大人の「どうせ仕方ない」は毒ガスだ!
「どうせ~やけ、やったって仕方ない」
「どうせ~やけ、考えてもしかたない」
「どうせ~やけ、言ったって仕方ない」
「どうせ~やけ、行っても仕方ない」
大人たちが、自分たちが「やらない」「考えない」「言わない」「行かない」
その理由を正当化するために言う、
「どうせ~やけ、仕方ない」
この言葉を、子供達が聞いています。
すぐに何でもあきらめて、すぐにやめてしまう大人の姿を。
それを、子供達が見ています。
「どうせ~やけ、仕方ない」
今、恐ろしいことに、同じ言い方で、子供達が使ってる。
大人たちが、その危うさに、気づかないと。
大人たちが、変わらないと。
大人たちの「どうせ~やけ、仕方ない」が
子供達から「生きる力」をうばっていることを。
子供らしい、目の輝きを奪っていることを。
大人たちの、さも「もっともそう」な
「どうせ~やけ、仕方ない」で、
子供達の、未来が決まって欲しくない。
大人たちの「無気力」や、「無責任」の荷を
子供達に背負わすことがないように。
大人は、考え、行動し、何とかしようともがかなければならない。
ずるい「頭のいい」人たちは、
そんな無気力や、弱さにつけこんでくる。
生きる力を、大人が自分で取り戻さないと。
その言葉を、「これから」を生きる子供達が聞いている。
その背中を、将来「大人になる」子供達が見ている。
大人の「無気力」が、大人の「無責任」が、
子供達の未来を、どんどん生きづらくする。
皆さん、その「大人」の背中を、子供達が見てますよ!
コメント