「ヨレヨレ」で「へろへろ」な愛しき世界
先日、友人が本を送ってくれました。
なんでも、読んでるうちにワタシを思い出したのだとか (・ω・)
・・・・何々? どんな本 (。´・ω・)?
・・・・・・・・ヨレヨレ? ( ̄▽ ̄)
・・・・・・・・それでもって、へろへろ? ( ̄▽ ̄;)
「今まで読んだ中で一番かも!?」と、彼女の言うその本は、
福岡にある宅老所「よりあい」と、そこのおもしろい雑誌『ヨレヨレ』、
それらを取り巻く人々のお話。
著者は、鹿子 裕文さん。
おもしろい雑誌『ヨレヨレ』のたった一人の編集者であり、
・・・自称「干されっ子」の編集者 (・ω・;)
世渡りがヘタと言うか、不器用と言うか、ひねくれてるというか。
こう、世の中のニーズなり、その場の空気なりを読んで、
長いものにまかれつつ、上手に右から左に流しとけばいいのに
妙な「一銭にもならないスジ」の様なものがあって、
全く得にもならないようなことにどんどん巻き込まれて、
「・・・・ところで、なんでこんなことしてんだっけ?」と思いつつ、
でも、何か捨て置けなくって、結局やってる人。
・・・・そんな感じを受けました (・ω・)
ワタシが言うのもおこがましいのですが
世間様の「枠」からはみ出してしまっている点では
・・・妙に親近感のわく鹿子さん ( ̄▽ ̄;)
友人が送ってくれた『へろへろ』の中には、そんな鹿子さんと
宅老所「よりあい」の村瀬孝生さん、下村恵美子さん、
そしてお年寄りたちの「一銭にもならないスジ」が満載している (・ω・)
昔から変わり者だったワタシは、よく親に言われました。
「あんたみたいなのは、この世の中で生きていけん。
弟は、ちゃんとしとるのに・・・」
でも、・・・・「ちゃんとする」ってなんだろう? (。´・ω・)?
世間一般に言うところの「ちゃんとした人」と
「ちゃんとしてない人」ってなんだろう?
世の中の「フツ~」からはみ出してしまった人?
世の中の「フツ~」から遅れてしまった人?
・・・・・・・だいたい「フツ~」って何だろう?
誰が決めているんだろう?
自分は「フツ~」だと信じて疑わなかったどの人も、
みんな老いて、若い人の「フツ~」についていけなくなるのに?
誰かが決めた、よく分からない基準や価値観に振り回されて
一喜一憂してるのは、「自分のスジ」のじゃないような ( ̄▽ ̄;)
それで、あんまり面白かったので図書館で
村瀬孝生さんの本も借りました(・ω・)ノ
その中で、あるおじいさんの最期をご家族と看取るお話がありました。
印象的だったのが、この言葉。
最期に人は死ぬ。
今まではそう思っていた。
でもそうではなかった。
人は最期まで生きるのだと思った
「ぼけ」ることが素晴らしいなんて思わない。
素晴らしいと思えることは、人はたとえぼけても
一生懸命生きるということ。
※中略
どんな人だって「必要のない人」などいない。
ひとりひとりの存在が認められてこそ社会は構成される。
人は社会をつくり、その社会から人は創られる。
ぼけても安心な社会を創りたい、とぼくは思っています。
介護をしたことのないワタシが、何が分かったとは思えない。
でも、ぼけて上手くつながらなくなった記憶の中で
お年寄りたちが混乱し戸惑い、なんとか記憶をつなげようとし、
それゆえの行動だとは考えたこともなかった。
「フツ~」からついていけなくなった人、
「フツ~」からはみ出してしまった人。
そんな「フツ~」の枠を、
「あ~!もう!いっちょんすかん!」と言っている人がいる。
「野たれ死ぬ覚悟はできとる!」そういう、ばあさまがおる。
そんな「一銭にもならないスジ」をかかえて
「ヨレヨレ」になりながら「へろへろ」になりながら
自分を「生きている」人たちがいる。
そんな愛しき世界の、お話でした(・ω・)ノ♪
興味のある方は→宅老所「よりあい」
↑ いつか、森のようなこの場所にも行って見たい♪
ちなみにいつでも寄付受付中! (。-`ω-)☆
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