『夢のゴール』
ちょうど、今日が小学校の卒業式だという方も多いのではないでしょうか?
思えば、おらが村は小学校の卒業式は全員「中学の制服」。
親としては、変な一回ポッキリ・スーツを買わずに済み大助かり!( ̄▽ ̄)
・・・女の子はつまんないかもしれないですが (・ω・;)
卒業していく子供たちに、「将来の夢は何?」そう聞くと
「パイロット!」「サッカー選手!」「パティシエ!」
そんな言葉が返ってきそうです(・ω・)♪
「将来の夢」を聞かれて、「総理大臣!」なんて
多少大きなことを言ってみても
小学校のころまでは笑って許してもらえても、
4月になり、中学生になった途端
「お前、そんなんでどうやってなるんだ?」なんて言われてしまう( ̄▽ ̄)
無邪気だった「将来の夢」が、中学超えると
いきなりお金や能力が絡んでくる。
小学生の3月と、中学の4月なんて
たかだかその一か月の違いなんですが・・・( ̄▽ ̄;)
「お前、このままじゃダメだぞ。」
「目標をちゃんと見据えて、今のうちから努力しないと」
・・・な〜んて言われてしまう。
分かってはいても、これを聞いて【焦り】は出ても【勇気】はでない(-ω-)
「夢をあきらめないで」
よく聞くその言葉に、妙な違和感を感じるようになったのは
ここ数年のことです。
ちょこちょここちらのブログにも書きましたが・・・
それは、【夢】である何かの職業に就くこと?
それは、【夢】である何かを成し遂げること?
違和感が残るのは
「・・・その夢が叶ったとして、その先は?」ということ。
そして、
「【夢】を諦めることが、【終わり】であり【負け】なの?」ということ。
もしそうなら、【夢】を叶えたはずのスター選手や歌手が
なぜ麻薬に手を出したり、薬を飲まないと眠れないほど苦しむの? (。´・ω・)?
大人は安易に「夢さえ叶えば・・・」「努力さえすれば・・・」っていうけれど
シアワセかどうかなんて、自分以外の誰が決めるんだろう?
例え親であっても、大人(他人)の考えるシアワセと
子ども(本人)もの感じるシアワセは違う。
大人の言う【夢】が叶わなくても、シアワセな人はたくさんいる。
・・・なんか分かるような、分からんような・・・( ̄▽ ̄;)
なんとか大人の思い通りに子供を動かしたくて
「このままじゃ大変だ」と
半ば不安をあおらせているようにも思える・・・(・ω・;)
そんな思惑では、「夢」なんて
馬の鼻先の「にんじん」のよう (。´・ω・)?
ところで、『夢のゴール』というのは、
シンガーソングライターのスガシカオさんのつくった歌です(・ω・)ノ
NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』と言う番組で
放送10周年スペシャルとして昨年11月に放送
k?kua(コクア)というバンドとして演奏された曲でした。
その歌の中で、スガシカオさんは伝えます。
【夢】と言うのは、例えばパティシエやパイロットは職業の名前であって
自分が生きていく道の名前じゃない。
その憧れの職業を通して、「やりたかったこと」や
「どういう風に生きていくか」が【夢】の正体だと。
・・・・目からウロコ、と言うよりは
これを聞いて、心のつかえがとれた〜\(^o^)/
なるほど!
職業の名前じゃなく
「どうやって生きていきたいか」が【夢】なら
【夢】を諦めないというのは、自分の望む「生き方」を諦めないことだ!
なるほど、なるほど!(≧▽≦)♪
しかも、歌は続きます。
♪きっと僕らが生きる最高のカタチは
誰かのための自分になること♪
もちろん、誰かの「便利」のためってだけじゃない。
そばにいて、生きている。
他に代わりがない。
そんな誰かの、「かけがえない」人になれたら
最高の「夢のゴール」!なんでしょうね!(*^_^*)
どんな道を、誰かのために、どう進む?
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