とにかく
わたしは賢い母親ではありません。
右往左往して、あくせくして
結局何にもならないどころか
自分のしたことが、かえって事態を悪くすることもあり
自分がこうでなければ、と思うことがあります。
今日は3月11日。
東日本大震災から5年の月日が経ちました。
正直、いつもいつもそのことを考えているわけではありませんし
特になにが出来ているわけではありません。
でも、毎年この日になるとやっぱり色々考えさせられます。
命のこと、生きること、そして死のこと。
日々暮らしていると
駄目な自分が、つくづく嫌になり
こんな私でなかったら
子どもたちもどんなにか、そう思うこともあります。
ただ、私が自分の子供たちに対してそうであるように
例え、完璧でなくても
怒ること
落胆する事もあっても
それでもなお、大事に思うように。
それでもなお、かけがえなく愛しいように。
駄目な私でさえ
居なくなれば、彼らはさびしく思ってくれるだろうか。
エサをとることが上手かろうが下手だろうが
子育てが上手かろうが下手だろうが
そんなことで小鳥は、「生きる」ことを投げ出さない。
梅に比べて香りがないから
バラに比べて鮮やかでないからと
桜が咲くのをやめないように。
時には、自己嫌悪に陥り落ち込むことがあっても
とにかく、生きていかないと。
馬鹿にされようが、笑われようが
とにかく、生きていかないと。
生きたくても、生きれなかった人たちのために。
笑われようが
後ろ指さされようが
とにかく、生きて、生きて、生きぬかないと。
生きないと。
死にたくなるようなつらいことがあっても
生きないと。
少なくとも、自分の大好きな人のために命をかけるならともかく
嫌いな人間のために、命をかけてはいけない。
自分が死ねば気づくんじゃないかと思っても
馬鹿にされても、恥かいても、
生きていてくれないと。
遺された人は、やっぱりやりきれない。
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