進む Vol.4
さらに続きで〜す(・ω・)ノ
だから「大きな目標を定めて」道を進む人もいれば
はっきり「大きな目標」はなくとも、小さく「選択」しながら進む人もいる。
大きなハッキリとした「目標」に快速列車のように進む人もいれば
各駅を途中下車するように進む人もいる。
快速列車は速く、時間のロスも少なく無駄がありません。
各駅停車すれば、時間はかかるけど、その駅や街に何があるのか分かります。
まっしぐらに効率的に行くか、
じっくり風景を確かめながら行くか(・ω・)
どっちが良いかなんてワタシには分かりませんし
・・・もうその人の好みによるのかも( ̄▽ ̄;)
道に迷うのは、道を知ることだ
でも、ただでさえ「道に迷って」困っている子に、
「お前、そんなことじゃこの先大変だぞ」と更に不安だけ増長させることだけは
気をつけなければいけないような気はします(・_・)
迷子の子に「お前、迷子になって一生このままやったらどうするん?」
・・・なんて言ったって元気も出ない(-ω-)
不安に駆られては、判断が鈍くなります。
迷いながら、小さく「選択」しながら
目の前の成すべきことをしつつ「進む」ことも進み方の一つ(・ω・)
迷った分だけ「道を知った」ということ。
そう考えると、優等生でスポーツも万能で人づきあいも上手で・・・
そんな学生時代を過ごしてきた先生より
そうじゃない「迷ってきた」先生の方が、「迷う」子供たちの気持ちが
少しは・・・理解できるのかも?(。´・ω・)?
「出来んのはお前の努力が足りんけじゃ!(`´)
やる気出せ、やる気を〜!( `ー´)ノ」
・・・そう言われてやる気なんて出ないですもん。( ̄▽ ̄;)
出たように見えたとしても
とりあえず「怒られないように」なら、長続きしません(-ω-)
「・・・ん?なんか、お前勉強好かんのか?
俺もそうやったけ、心配すんな!一緒に頑張ろう!(^。^)」
そう言ってガハハと笑ってくれる先生がいたら
ちょっと前に進めそうでしょうか?(*^_^*)
迷ってきたから道を知っている。
色々な道のある事を。
色々な進み方のある事を。
それを、「迷う」子供たちに伝えられるのは、
きっと同じく「道に迷ってきた」大人たち(・ω・)ノ♪
手を動かしてみな。
手があなたのダメなところも値打ちも全部ちゃんと知ってるよ。
才能があるかどうかなんてことはわからなくたっていい。
ただ、ひたすらに手を動かしてさえいれば、
自分のなんともいえない性格とか、
なんともいえない主義とか、
なんともいえない自分なりの失敗とかがんばり方とか、
そういうものがひとりでに決めていくものがある。
そうして決めていった挙げ句のものが、
<才能>であり<宿命>なんだと僕は思います。
吉本 隆明・著『ひとり』より
迷う時こそ、手は動かし続けていたい。
「理由」や「理想」なんかじゃなく
もうこれ以外には手が動かない。
それが、「仕事」であり
自分の「道」であったんだと
いつかそう思えるように。
生まれ方も
死に方も自分で決められない私たちですが
「生き方」だけは、自分で決められる。
・・・・そう何かの本に書いてありました。
迷いながらも、きっと進めます。
がんばれ、子どもたち(・ω・)ノ♪
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