言葉残り
その人が、何気なく言った言葉がなぜか心に残る。
そんなことはありませんか?
特に感動させようとか、特別な意図もないのに
妙に心にストンと入ってきて
時々、なんとなく思い出したりする、そんな一言です(・ω・)
中学の頃、大好きだった美術の先生がいました。
本格的なレタリングを教えてくれたり、
自分の好きな曲のレコードジャケット(←古Σ(・ω・ノ)ノ!)のデザインをしてみたり。
それぞれの生徒がA4サイズの部分絵を仕上げて、
組み合わせるとアンリ・ルソーの絵画になったり、
マグリットの不思議な世界を教えてくれたのもその先生でした(*^_^*)
授業を受けるのが楽しくて楽しくて、「何かをつくる」喜びを教えてくれた先生でした。
その先生が中学2年の修学旅行の事前授業で、仏像の説明をしてくださって
「菩薩は、人々を救いながら、自分も仏になる修行をしている」
・・・なぜか、心に残ったのです。
どんな立派に見える人(?)も修行中っていうことに、なんだか親近感をもったのかもしれません。
若いころ、会社帰りの駅のガード下に、小さな焼き鳥屋があって
おばあちゃんが一人で切り盛りしていました。
安くて、ものすごく美味しいけれど、よく怒られると評判のお店でした。
ピーマンのみそ焼き、うずらの卵、中でも牛タンが美味しくて
古い小さなお店でしたが、怒るけれど優しいそのオバちゃんが大好きで
外回りの時に(←勤務中・・・( ̄▽ ̄;))ときどき「元気?」と顔を出していました。
オバちゃんが言っていた言葉。
「材料だけは、ホンモンの、ちゃんとしたのを使わなよ。ミソでも醤油でも。ホンモンのよ」
「ビンボーなんと、汚いのは違うんよ。だから贅沢じゃなくても、キレイにしとかないかん」
・・・この言葉。オバちゃんには、凛とした、スジの通ったところがありました。
↑・・・焼き鳥屋だけに?・・・( ̄▽ ̄;))
『55歳からのハローライフ』という村上龍さんの小説がドラマであって
その中に『空を飛ぶ夢をもう一度』という短編がありました。
主人公が少年時代に遠足の登山で、他の子たちより遅れてしまうシーン。
心配した先生に問われます。「因藤、水筒の中身はなんね?」
「・・・ジュースです」
「それじゃつまらん。濁った水じゃダメぞ。透明な水ば飲まな!」
・・・それから、ただの水だと思っていたものが「透明な」飲み物になりました。
会社の後輩に、ずっと夢だったことを諦めようとしていることを告げた時
「何を、あきらめてもいい。自分で決めたなら。
でも、とにかく、何かを作り続ける人でおってほしい」
・・・そう言われた言葉。
肉親や、兄弟じゃなくても、自分の心の芯のところを
しっかり見られていることに、非常に驚いた覚えがあります。
たくさんのご先祖様の命をついで自分がある。
一生懸命痛い思いをして産んで、育ててくれたから。
小学校の「いのちの授業」でそういいます。
確かにそうなのですが、そのこと以上に
「生きる」ことで私たちはお互いに、影響しあっている。
良くも悪くもですが。
生きていないと。
生きていてくれないと。
その言葉を聞くことも、できません。
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