隣の芝は
例えば、どこかの人が建売でお家を買って
そのあとに、自分のお家より広くて安い
築浅の中古の物件を見つけて
やっぱり慌てて買わなきゃよかった、
なんでこんな狭い家を買っちゃったのか?
あっちの方がよっぽど安くて、広いのに。
おまけに、家が狭いなら
子供もひとりだけにしとけばよかった・・・云々。
↑ この辺も、建売買ったことも、全く子供たちの落ち度じゃないのですが
後悔のスパイラルにはまっていたとします(・ω・)
ワタシなどはひねくれているので
築浅の中古物件で、広いのに安いなら
【安いなりの理由】があるんじゃないか?と思っちゃいます( ̄▽ ̄)
仮にその中古物件が、「当たり」だったとしても
その代わりに、もし今度はご近所トラブルに悩む羽目になったりしたら
「やっぱり、狭くても前の家の方が良かった!」・・・なんてこともあります。
・・・・羨ましがったら、きりがない(*_*)
【隣の芝は青い】
自分たちからすれば、羨ましいように見えることも
物事には、必ず長短あって
知らない苦悩や問題もあったりします。
家も、ご縁。
その場所に家を建てたこと。
その家に住むこと。
命に係わるほどの問題は別ですが、
建てたことも、住むことも、そう決めたこともご縁だし、自分の責任です。
「誰かに決められた」って、
脅されたわけでないなら、それでOKしたことも
やっぱり自分の責任です。
もちろん、そう「決めさせる」ために相手を騙したり
過度に期待させるようなことを言ったりしていないかは相手側の問題ですが…( ̄▽ ̄;)
強制的に住むところを決められていない。
その選ぶ【自由】があれば、それに付くのは【決めた責任】です。
キビシイですが、現実です。
誰のせいでも、ましてや子供たちのせいでもありません。
しかも、羨ましいばかりの【隣の芝】も
必ず長短あることを考えれば
【自分の芝】で、いかに子供たちに楽しく過ごしてもらうかを
考えた方が、建設的です(*^_^*)
どんなに吟味した【芝】でも、【家】でも
どこかここか「やっぱりああすれば、よかった」ということは出てくる。
でも、大事なのは、基本の基本。
「基本的に、一番何を大切にしているのか」の、【根っこ】の部分。
考え方のベースが合ってるかということじゃないかと思います。
【芝】でも、【家】でも、・・・・【伴侶】でも?
「あ~、もう腹が立つ!( `ー´)ノ」という日もあれば
そうじゃない日もあって、なんやかやといいながらやっていけるのは
【根っこ】はどうか?っていうことかも。
これから、【芝】も【家】も見つける【自由】がもしあるのなら
【根っこ】を見極める【責任】は、
やっぱり選んだ自分にあるってことなのかな・・・(。´・ω・)?
そう思います。
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