癒す

庭師の斉藤 吉一 氏が、著書『ものぐさガーデニングのススメ』で

緑が人を癒す理由についてこんな風に書かれていました。

庭師になる前、コンピュータープログラマーであった斉藤 氏は

日々コンピューターの動作に不具合がないか

チェックするのに大変な労力をかけるのですが、

その中で

「コンピューターは間違わない。

プログラムしている人間が、なにか間違って指示しているからうまくいかないんだ。」

その言い訳無用、全部指示を間違った自分のせいっていうので

かなり肉体的・精神的につらい思いをされていたようです。


その後、庭師の仕事をしていくうちに

森の中の木を見ても同じことが言えるんじゃないか。

木は、自ら枯れることで、周りに陽を当てる。

台風で折れてしまったようなところから、新芽がたくさん出て

一年もすればわからないくらいに、自分で傷を治してしまう。

もくせい工舎へ続く森


「コンピューターは間違わない。間違うのは自分。

                   自然は間違わない。間違うのは人間。」

人間は間違いますが、自然は間違いません。

難しいこと考えなくても

いつでも【「正しく」生きている】自然からエネルギーをもらうことができる。

これが人工的なものと自然との一番の違いです。

そう書かれていました。


確かに

【枯れる】といった一見トラブルに見えるようなことも

何か後々困らないよう上手くできている、

自然にはそんなところがあります。


一見して【トラブル】といったことでは

自然の素材も、残念ながら長所ばかりではありません。

もくせい工舎は床材も、やわらかい杉材を使います。

塗装もしないので、やはりキズはつきやすい。

でも、それが分かっていてなお、

人にとって大切な利点が多いのでそうしています。


自然のそういった欠点を

コストとか、商品の安定とか、

人間の都合のいいように、人間によって作られたものが

人工的な材料なので

便利な反面、何か間違うこともあるわけです。

それは、斉藤 氏の言葉を借りるなら

間違うこともある。それは私たちが人間だから、です。

わたしは、仕事柄もくせい工舎の家をよく見ます。

そうすると、今までそんなに気にしていなかった

人工的に作られた擬木であったり、「森の香り」といった芳香剤のにおいに

違和感を覚えるようになりました。

ビニールクロスで覆われたゲームコーナーのような

狭くて、窓も小さい空間にいると

どうも居心地悪く、早く外に出たくなる。


人工的なものを選ぶのか、自然なものを選のか。

それは価値観の違いであって

どちらが正解とか

どちらが善だの悪だのいえないわけです。

ただ、ワタシ的には

自然なもので、不自然なことは起こらない。

そう感じております。


【いつでも「正しく」生きている自然からエネルギーをもらうことができる】

だからこそ、私たちは「正しい」生き方をする自然に身を委ね、

安心して【癒し】てもらえるのかなって思います。

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