沈黙も言葉
人は誰でも、人に言わない言葉をもっている。
沈黙も、言葉なんです。
樹でいったら、地面の上に見えている枝葉じゃなくて、
見えない根の部分が言葉にもあるんですよ。
これは故・吉本 隆明さんの著書
15歳の寺子屋シリーズの『ひとり』の中にある文章です。
15歳の寺子屋なので、そういった年頃の子供たちに
語りかけているんですが
大人は「15歳なんてまだ子どもだ」と思うかもしれない。でも実際はそうじゃない。
たいていのことはみんな、ちゃんとわかってて、
だけどそれをいう言葉を知らないからいわないだけで、・・・・・・・・・・
人には、ちゃんと知っているけどいわないだけ、
それをいう言葉を知らないだけってことがある。
言葉では上手くいえないけど
「なんかおかしい」「なんかちがう」と感じることがある。
それは15歳でも、大人になってもそうかもしれません。
特に、目上の立場や、自分より知識も経験も豊富な人から
「あんたのためにアドバイスしてるんだ。言ってやってるんだ」
って言われても
「でも、なんかちがう。なんかすっきりこない」。
でもそれをかわすだけの、言葉もない(大人だと、お金も無い?力も無い?)
黙ってはいるけど、「う~ん・・・そうですかね」って言うのが精一杯で
Yesってわけじゃない。
説得と、納得はかならずしもセットでは無いってことです。
とはいえ、大人になり、はたまた親になり
知識も経験も増え、
アドバイスしたくなる、一言いってやりたくなるんですが
どこか、自分の言っていることがすべてじゃないんだってこととか
相手にも、黙っているだけの言葉のあることを
どっか片隅においておかないと
意見の押し付けは、新たな違った考えやアイデアの
芽をつみかねない・・・・のかなと思います。
時々思い出す必要があるかもと反省します。
言うにいわれぬ思いのあった、自分の15歳のころ(・・・何年前だっけな?)
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